「写真」とか「文章」というのは、「何者かになるはずで、なれなかった人たち」の最後の受け皿になりやすい趣味だ。

 いくらなんでも、僕の年齢になって、「プロ野球選手になって、カープを優勝させる」とか、「政治家に転身して、首相になる」なんていうのは、妄想でしかない、それは理解できる。

 ところが、写真とか文章というのは、「プロとアマチュアの違いが、(素人には)わかりにくい」だけに、「いまからでもできるかも!」と思いこみがちなのだ。

 僕にも、「夏目漱石がデビューしたのは、30代後半だった」などという特例に希望を見いだしていた時期がありました。

“私事ですが、
娘が2歳を過ぎた頃、夫が夜、娘が寝付かないことに異様に怒るようになりました。
うちの娘は人見知りのうえ活発な方ではなく、家の中で遊ぶことが多かったので寝付きは良くなかったのは確かですが、それにしても常軌を逸した、というか人が変わったような怒り様でした。
そのうち娘もぎゅっと目をつぶって息を殺して寝たふりをするようになる程で、私も非常に心を痛めていたのですが、夫がそのように怒る理由がわからず、また夫も自分でそれがわからないようで、ひどく怒った後で懸命に謝ったりするので、どうしていいかわからずに、一生懸命娘を早起きさせて出来るだけ外で遊ばせようと努力したりしていました。
しかしそれでもなかなか寝ない日というのはあります。あるときそんな日に、とりわけひどく怒り散らした後で夫が突然、
「寝ない子は死ななきゃいけないんだ!」
と叫んで、それから自分で驚いたように呆然として、しばらくしてから泣き出しました。
その後の夫の話によると、彼は小さい頃「ねないこだれだ」がとても怖かったのに、泣いて嫌がっても毎晩読み聞かせられたのだそうです。足が無くなっておばけに連れられて飛んで行く子供が、初めて触れた「死」のイメージだったと、寝ない子は死ななければならないのだと子供心に思ったと、泣きながら話していました。
私にはそんなことをした彼の親の考えはわかりません。彼の心の傷が絵本のせいだと思う訳でもありません。
私個人は、切り絵の子供の目が奇妙に虚ろな感じがして苦手な本というだけで、すごく怖いとも思いません。
しかし、子育てをしていると切実に楽をしたいことも理解できる一人の親として、「怖がってすぐ寝てくれるようになった」「しつけに効果的」といった発想が、子供の心に深い傷を残すこともあるということを知って頂きたいと思うのです。
明るい場所で一緒に楽しく読まれている親御さんには、余計なお世話だと思いますが………。
娘は3歳半を過ぎた今も、寝付く前に夫の足音が聞えると不安げな顔をします。昼間はお父さんが大好きなのに。
夫はそんな娘を抱きしめて「おやすみ」と笑顔で言いますが、その度に傷ついているのがわかります。
この傷がいつ癒えるのかわかりませんが、我が家に「ねないこだれだ」が来ることはないでしょう。
私事で申し訳ありません。このレビューがせなけいこさんの本を非難するものでないことをご理解いただきたいと思います。”

この感覚は分かる人とそうでない人がいると思うが、ぼくは小学校の頃から1対1なら友達と喋れるが、友達の輪の中ではまったくひとことも喋れなくなることが多かった。ぼくが喋ってもだれも聞いてくれない、だれも望んでいないという恐怖から一言も喋れなくなるのだ。そうなると、だれかが気を遣って話を振ってくれても、もうなにも言葉がでてこない。

 当時のぼくのように、周りの人間関係の中で疎外感を感じながら、自分にはなにも喋る資格がないと思って、無口に暮らしているひとは、世の中にたくさんいると思う。この話をまったく理解できない人も多いだろうが、本当にそうだから、知っておいて欲しい。

 時々、電車で独り言をつぶやいているおばさんとかを見かける。街中で突然叫び出すおっさんとかもいる。そういうひともきっとずっとみんなの中で黙り続けて生きていたのだろう。ぼくもよくひとりきりになるとトイレや風呂場でひとりごとをいったり叫んだりする。言いたいことを聞いてもらいたいから無口になって生きるというのはそういうことだ。